特別編
~特別編~第6章:師匠の最期──受け継いだもの
入院した師匠は、とても寂しがり屋だったこともあり、ラパログループの誰かが毎日お見舞いに行くことが“義務”のようになっていました。私は木曜の担当でした。 無菌室に入るためには手洗いと消毒が必要で、毎週その手順を踏んで師匠のもとへ向かい、近況を報告しました。本来は師匠が行う予定だった手術、講演、学会発表──それらはすべて私たちに託され、もちろん全てチェックされました。発表スライドも持参し、許可を得てか…
~特別編~第5章:師匠の野望と失望──教授選の裏側
ラパログループは大躍進し、大学内でも一目置かれる存在となりました。そんな中、師匠はいつからか「主任教授」を目指したいと考えるようになったようです。しかし、その道のりは決して容易ではありませんでした。当時の教授職は、今以上に高いハードルが課されていたのです。師匠には業績もあり、大学への貢献も十分にありました。しかし、当時求められていたのは“オールマイティな総合型の教授”であり、腹腔鏡という分野に偏っ…
~特別編~第4章:恩師たちの死と医局の変化
落ちこぼれからスタートした私のキャリアですが、師匠のおかげでとても充実した、それもかなり高いものになりました。これについては感謝してもしきれないです。落ちこぼれの私を拾ってくれた当時の桑原教授ですが、ある日、「身体がだるい」と仰るようになり、採血など検査をお奨めしたところ、そこで末期の肝臓がんが発覚。その後入院となったのでした。大学院には、行かず、途中入局の遅れを取り戻すように臨床に明け暮れていた…
~特別編~第3章:昭和の医局文化と葛藤
師匠は何事につけても、今でいうところの“昭和”な人でした。当時の言動は、おそらく現代であればパワハラと認定されるような場面も多々あったように思います。師匠自身も、他施設からの評価と大学内での評価に差があったようで、私たち弟子は常に気を張りながら仕事をしていました。ある夜、医局の窓からふと外を見上げると、向かいのオフィスビルの窓にまだ明かりが灯っていました。「まだ仕事している奴がいる。連中に負けない…
~特別編~第2章:昭和な師匠との出会い
私の師匠は、武内裕之先生。正直申し上げて、かなり「昭和」な先生でした。当時黎明期にあった腹腔鏡下手術のスペシャリストであり、世界最先端の手術を行っていた先生です。婦人科腹腔鏡手術で名を馳せた順天堂大学、その中心に武内先生はいらっしゃいました。私と師匠との出会いは、前回もお話しした通り、落ちこぼれとしてスタートした私の産婦人科医としてのキャリアの中で訪れました。まだ注目されていなかった腹腔鏡下手術に…
~特別編~ 第1章:プロローグ、落ちこぼれの出発点
私がそれなりに恵まれた環境にいたことは事実として受け止めています。しかし、他の先生方の目には、私は「逆境をくぐり抜けてきた人間」と映っているようです。確かに大学時代、大学内での評価と大学外での評価には大きな乖離がありました。そのため、外から私を見ていた方々には、「なぜ彼があのような扱いを受けているのか」と不思議に思われていたようです。ただ、私自身の感覚としては、外部からの評価が過剰だっただけではな…
