~特別編~第12章:卵子凍結プロジェクト──社会性不妊治療講座の誕生
市長の疑問は、極めてまっとうなものでした。
「市内の若いAYA世代の女性で、卵子凍結の対象となる人は年間どれくらいいるのか?」
という問いです。
当時、対象となり得る市内在住の若年女性は約1万人。その中で卵子凍結を必要とする人が少ないのであれば、市税を投入するプロジェクトとして説得力に欠ける──市長の懸念は当然でした。
そこで私は提案しました。
「加齢による妊孕性低下に備えるため、理由を問わず希望者に卵子凍結を提供してはどうか」
ただし、妊孕性は30代半ばから急激に低下するため、
30代後半の方には“妊娠を急ぐべき”という前提で、妊孕性の説明会を必須とする。
つまり、まずは“知識の普及”を目的とした取り組みとして始めるべきだ、と。
市長は即答しました。
「それでいこう!」
こうして順天堂浦安病院に寄付講座が誕生しました。
名称は 「社会性不妊治療講座」。
当時、卵子凍結は「医学的卵子凍結」と「社会的卵子凍結」に分類されていましたが、私はあえてその言葉を皮肉めいて使いました。
“今は産めない”という理由は医学的ではありませんが、その結果として妊孕性が低下するのであれば、それは社会的な不妊要因ではないかと考えたのです。
今でこそ卵子凍結は女性の選択肢として受け入れられつつありますが、当時は認知度も低く、医学的卵子凍結ですらほとんど稼働していない状況でした。
今振り返っても、なぜあれほど時計の針を進めることができたのか──
正直、私自身にもわかりません。
ただひとつ言えるのは、熱血な市長の存在が大きかったということです。
市長はやや“フライング気味”なところもありましたが、行動力の塊のような方でした。
翌月の浦安市の広報誌には、すでにこのプロジェクトの概要が掲載されていました。
当時はSNSも今ほど発達しておらず、広報誌の記事はそれほど話題になりませんでした。
しかし、私たちの知らぬところで、別の動きが静かに始まっていたのです。
そしてその動きは、
大きな波紋となって私に降りかかり、私は一躍“時の人”となってしまうのでした。


