~特別編~第16章:日常と非日常──プロジェクト継続の葛藤
そんな出来事があったにもかかわらず、前述のように理事長から当直を外す指示が出ていたとはいえ、人手が足りていない大学病院では、やはり当直業務をこなさなければなりませんでした。私も例外ではありません。
特に周産期センターである順天堂浦安病院では、毎日のように産科救急への対応が必要でした。
私は、心房細動のあとも、それまでと変わらず日常業務を続けなければなりませんでした。ただ、循環器内科の先生方には非常に手厚くフォローしていただきました。国内外から注目されているプロジェクトのリーダーであったことも理由のひとつだったのかもしれませんが、それ以上に、皆が本当に優しかったのです。
だからこそ、私はその場から逃げることができませんでした。
浦安プロジェクトは、月に一度の妊孕性説明会を行い、希望者にはAMH測定を行い、その後さらに希望する方には卵子凍結を助成するという研究でした。説明会の前後でアンケート調査を行い、妊孕性に対する意識の変化も評価しました。
中には、「卵子を凍結するより、早く結婚して妊娠した方がいいのでは」と率直に話す方もいらっしゃいました。
プロジェクトの詳細は2本の論文にまとめていますが、説明会を含めた取り組み全体としては、それなりの効果があったという結果でした。
さて、いつか辞める──
そんな考えが頭をよぎるようになっていましたが、このプロジェクトのリーダーであり、立ち上げたリプロダクションセンターの長である以上、その後のことを考えなければなりませんでした。
しかし、“何か”は突然起こるものです。
詳細は分かりませんが、一緒にプロジェクトを立ち上げてくださった松崎市長が、突然、千葉県知事選への出馬を表明し、市長を辞任することになったのです。
まさに青天の霹靂でした。
当初、社会性不妊寄付講座はまず3年、その後は2年ごとの延長を視野に入れていました。しかし、市長の辞任により、その先行きは一気に不透明になってしまいました。
ただ、私にとっては、これがひとつの“機会”にも思えました。
自分が始めたプロジェクトではありますが、その幕引きが訪れたことで、その後は自由になれるのではないか──
そう思うと、肩の荷が下りたような気がしたのです。
特にその先の具体的な計画があったわけではありません。
ただ、少しだけ、自由になれた気がしたのでした。


