~特別編~第13章:大波乱──学会との対立と“時の人”へ

市議会の予算委員会は2月に開かれ、それまでに寄付講座の詳細が決定されました。基本的には市長の鶴の一声ではありましたが、市議会も無事に通過し、寄付講座の設立が正式に決定しました。
しかし、このプロジェクトはあまりにも特異であったため、プレスリリースに反応したマスコミからの取材依頼が殺到しました。そこで大学と市は、共同で記者会見を開くことになりました。

一方で、学会側にも動きがありました。
2013年、米国生殖医学会(ASRM)は
「卵子凍結はすでに研究段階を脱し、臨床応用可能な技術である」 
と公式声明を出しました。
がん治療などで妊孕性が失われる可能性がある場合、医学的卵子凍結は“提示すべき選択肢”とされたのです。
しかし、社会的卵子凍結については、
「データ不足のため慎重な対応が必要」 
という立場でした。
これに呼応するように、日本生殖医学会も2014年に声明を出し、
医学的卵子凍結は認める
社会的卵子凍結は「やむを得ない場合に限り許容」
というスタンスでした。
そして、日本産科婦人科学会。
ちょうど私たちが記者会見を行った2月に記者懇談会があり、マスコミの質問に対し、
「社会的卵子凍結は推奨しない」 
という見解を発表しました。
結果として、マスコミが好む“対立構図”が出来上がってしまったのです。
そのため、私たちの記者会見には多数のテレビカメラや新聞社が押し寄せ、大変な騒ぎとなりました。
当時、順天堂浦安病院の院長は産婦人科学会の重鎮に呼び出され、
「気に食わない」「若い医師の未来を潰す気か」
とまで言われたそうです。
もちろん、その“若い医師”とは私のことでした。
そこで、再度記者会見を行うことになりました。

前述のように、当時の私はやや厭世的で、大学を辞めることすら考えていたため、正直そこまで怖くはありませんでした。しかし、仕事ができなくなるのは困ります。
落としどころとして、
・あくまで寄付講座での“研究”として行うこと
・市内での説明会とアンケート調査が中心であること
・その後のフォローアップも前提とすること
これらを丁寧に説明し、学会側も
「研究として行うのであれば容認する」 
という形で、なんとか収束させることができました。
しかし、国内外からの取材は止まりませんでした。
ロシアのラジオ(スプートニク)
英国ガーディアン紙
ドイツの新聞
タイの国営放送
NHKを含む国内テレビ局
次々と取材が舞い込み、私は一躍“時の人”となってしまいました。
印象的だったのは、大学宛に届いた一通の手紙です。
中には“奇跡のメダイ” が入っていました。
「頑張ってほしい」
と英語で一言だけ書かれており、差出人は不明。英国からのものでした。
これは今でも、私の宝物です。