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特別編 院長

~特別編~ 順天堂における腹腔鏡・超音波の黎明期について

腹腔鏡が世界で発展していく過程と同じように、順天堂でも早い時期から腹腔鏡が導入されていました。
国内では1948年、東京大学の常岡健二先生・亀田治男先生らがドイツ製スコープを用いて腹腔鏡検査を開始し、その流れが順天堂にも受け継がれます。1957年に山川邦夫先生が着任し、昭和33年(1958年)には荒牧長門先生が腹腔鏡検査を開始しました。
婦人科領域でもほぼ同時期に導入されており、これは現在の日本産科婦人科内視鏡学会の発足(1973年)より15年以上前で、国内でも最も早い導入例の一つであったと考えられます。

前回もお話しましたが、順天堂には古くから「兼科」という診療体制がありました。
内科・外科・婦人科の垣根が低く、互いに協力しながら診療を行う文化が根付いていました。
腹腔鏡もそのような環境の中で自然に共有され、診療科を越えて発展していきました。
荒牧先生は内科所属でありながら婦人科領域の腹腔鏡診療にも協力し、婦人科腹腔鏡診断の早期確立に大きく貢献しました。

1982年には、順天堂で腹腔鏡画像をテレビモニターへ映し出す試みが行われています。当時の写真も残されており、オリンパス技術者の協力のもと、従来の単眼観察から映像共有へ移行する過渡期を記録した貴重な資料となっています。
これは後に普及するビデオ腹腔鏡システムに先立つ先進的な取り組みであり、順天堂が早い時期から映像技術の導入に積極的であったことを示しています。

婦人科腹腔鏡の継承においては、高瀬幸子先生が重要な役割を果たしました。
高瀬先生は荒牧先生から腹腔鏡診療を学び、その後、所見記録用紙の整備や診療手順の標準化を進めるなど、診療の体系化に尽力しました。
こうして確立された診療基盤は、その後の発展を支える礎となりました。

その後、高瀬先生が大学を離れることとなり、腹腔鏡診療は武内裕之先生へと引き継がれます。
武内先生は腹腔鏡に強い関心を持ち、診断中心であった腹腔鏡を治療へと発展させました。
当時の教授であった高田先生もその将来性を高く評価し、腹腔鏡タワーの導入を後押ししました。
こうして順天堂の腹腔鏡は本格的な手術領域へと拡大し、現在の内視鏡診療の基盤が形成されていったのです。

海外との技術交流も盛んでした。
荒牧先生は腹腔鏡黎明期にドイツのKurt Semm先生と交流し、海外の先進的な知見を積極的に取り入れていました。
Semm先生は自動気腹器や腹腔鏡用器具の開発で知られる世界的な先駆者であり、その影響は現在の腹腔鏡手術にも色濃く残っています。
武内先生もまた、国内外の技術を吸収しながら順天堂の腹腔鏡診療を次の段階へ押し上げる原動力となりました。

一方、同じ時代に超音波診断の開発も進んでいました。
順天堂では竹内久彌先生が超音波診断、とりわけ経膣超音波の発展を牽引し、その後の不妊診療や産婦人科診療の進歩に大きく貢献しました。
超音波は非侵襲的に体内情報を得る画期的な技術であり、腹腔鏡が提供する直接視による情報と相補的な関係にありました。
両者は互いに刺激し合いながら発展し、今日の産婦人科診療を支える重要な基盤となっています。

こうして振り返ると、順天堂大学は日本における腹腔鏡と超音波の黎明期において極めて重要な役割を果たしていたことが分かります。
荒牧先生が切り拓いた腹腔鏡、高瀬先生が築いた診療基盤、武内先生が発展させた治療内視鏡、そして竹内先生が牽引した超音波診断。
これらの歩みは互いに独立したものではなく、順天堂の自由闊達な学風と診療科の垣根を越えた協力の中から生まれました。
先人たちの静かな挑戦の積み重ねが、現在の高度な診断・治療技術の礎となっていることを改めて感じます。