~特別編~ 落ちこぼれ医師としての再出発
前回、帝京大学市原病院のリハビリテーション科を途中退局したお話をしました。回顧録としては第1章の補完となります。第2章では恩師・武内先生との出会いを記しましたが、その前にもさまざまな出来事がありました。今回は、第1章と第2章の間を埋めるお話をさせていただきたいと思います。
リハビリテーション科では、一応内科的な研修は受けましたが、通常の医師とは異なる研修であったことは否めません。
リハビリテーションの語源がラテン語の「re(再び)」と「habilis(適した)」に由来するように、
患者さんが失った機能がどこまで戻るのか、
どのような障害が残るのか、
そしてその障害をどのように補い、どのような訓練が必要なのか──それを考える診療科です。
そのため、教授が言われたように、通常の診療とはアプローチが大きく異なります。
さらに、当時は初期研修制度がなかったこともあり、一般的な臨床能力はどうしても“ちぐはぐ”になってしまいました。
その結果、産婦人科医としての臨床能力が不十分であったため、叩き上げとなるべく、当時非常に忙しかった関連病院に出向して研鑽を積むことになりました。
その場所が、後に私が大学を辞することになる順天堂浦安病院だったのです。
思い返せば、これは運命のようにも感じます。
浦安病院の医局長であった町田先生には、とても優しく接していただきました。
多くの経験を積ませていただき、臨床力を磨くことができました。
その町田先生が、私ががむしゃらに臨床に取り組んでいた頃、ふとこう言われました。
「臨床もいいが、医師として一度は試験管を振るような、研究に従事する経験をしたほうがいいよ。」
この言葉は、後に私が衛生学教室の門を叩き、博士論文を書く機会をいただいた際、確実に背中を押してくれました。
ただ、この先生も早くに他界されました。
思えば、恩師を亡くす経験は、この頃から静かに始まっていたのかもしれません。


