カテゴリー
特別編 院長

~特別編~ 武内先生

産婦人科医──それも内視鏡手術に携わる者であれば、武内裕之先生のお名前を知らない方はいないでしょう。
婦人科内視鏡手術の発展に大きく貢献され、技術認定制度や研修会のカリキュラム策定にも深く関わられた先生です。
私もその一端を担わせていただきましたが、産婦人科内視鏡分野において、武内先生はこれからも長く名前を残す方だと思います。

日本産科婦人科内視鏡学会では、技術認定制度で高得点を収めた医師に授与される「武内賞」が設けられています。
リハビリテーション科でお世話になった上田敏先生もご高名な先生でしたが、こうした偉大な方々に師事できたことは、私にとって大きな宝物です。

さて、回顧録第2章にも記した通り、武内先生は、今であればパワハラと認定されてしまうような言動も多くありました。
ただ、ここでその詳細を書くことは、師匠を貶めることにもなりかねませんので、先生の背景について少し触れたいと思います。

私より10歳ほど上の世代の先生方の父親は、戦時中に最前線にいた方や軍医を務めた方も多くいらっしゃいました。
敗戦の記憶を持つ父親から、つらい体験を聞かされて育った世代です。
そのためか、海外──特に米国に対する強いコンプレックスを抱く方が少なくありませんでした。
武内先生も戦史に非常に詳しく、「なぜ日本は負けたのか」という話をよくされました。
もちろん物量の差は大きかったのでしょうが、それ以上に“システムの差”を強調されていたのが印象的です。
私が操縦士免許を持っていたこともあり、戦闘機の話をよくしました。
日本軍では海軍と陸軍で航空機のスロットル方向が逆であり、海軍のパイロットが陸軍機に乗った際、それが原因で墜落したこともあった──そんな話を聞かされました。

一方、米軍は弾薬や部品を統一し、補給体系を合理化していました。
日本軍は機種ごとに規格が異なり、補給が複雑化していた。
こうした“システムの差”が戦争の結果を左右したのだと、先生はよく語られました。
だからこそ、医療現場でも「属人的な技術より、システムで勝つべきだ」と考えられたのでしょう。
順天堂で腹腔鏡下手術の手技を統一し、教育やデータ収集を体系化したことは、まさにその思想の表れだったように思います。

武内先生の戦史好きは、単なる趣味ではなく、医療の未来を見据えた“先見の明”につながっていたのだと、今でも感じています。