~特別編~第5章:師匠の野望と失望──教授選の裏側

ラパログループは大躍進し、大学内でも一目置かれる存在となりました。そんな中、師匠はいつからか「主任教授」を目指したいと考えるようになったようです。しかし、その道のりは決して容易ではありませんでした。当時の教授職は、今以上に高いハードルが課されていたのです。
師匠には業績もあり、大学への貢献も十分にありました。しかし、当時求められていたのは“オールマイティな総合型の教授”であり、腹腔鏡という分野に偏っていることが不利に働いたのも事実でした。
そんな中、木下教授は師匠に教授回診への出席を指示しました。意図としては、教室内の全体像を把握し、他分野にも精通してほしいという思いがあったようです。しかし火曜午前の教授回診は、師匠の外来日でもありました。全国から多くの患者さんが押し寄せる外来を放置することはできず、師匠は外来開始の時間になると回診を抜けざるを得ませんでした。
その結果、木下教授と師匠の間に溝が生まれてしまいました。仕方のない事情ではありましたが、おそらくこの時点で「教授としては不適」と判断されてしまった可能性が高く、その後の教授選に影響を及ぼすことになりました。
結局、木下教授の後任を選ぶ教授選に、師匠は出馬させてもらえませんでした。多くの業績を持つ師匠が出れば選挙は師匠に決まってしまう──そのため、最初から出させない方針だったようです。
師匠の野望と、それを阻むように見えた木下教授。しかし、背景はもっと複雑でした。
後に知ったことですが、木下教授が着任した時点で、すでに次期教授候補は内々に決まっていたようで、師匠には最初から“芽”がなかったのかもしれません。むしろ、そこに少しでもチャンスを与えようとしたのが木下教授だったのではないか──今ではそう考えています。
しかし当時の師匠には、その事情が見えませんでした。教授選に出ることすら許されない状況は、到底納得できるものではなかったはずです。大学を辞め、他院へ移ることを真剣に検討した時期もありました。
そんな中、師匠は「疲れやすい」「体がだるい」と言うようになりました。桑原教授のときと同じ兆候でした。
教授選に出たいと考えていた師匠は、周囲に知られないように採血を希望し、私が採血を行い、電子カルテで懇意になった検査課の方に依頼して検査をしてもらいました。
結果は、Hb 8台。男性としては明らかな貧血でした。
当初は胃潰瘍を疑い、胃カメラなどの検査を行いましたが、さらに精査を進めた結果、血液の病気であることが判明しました。血液内科の先生と相談し、診断は骨髄異形成症候群(MDS)。骨髄移植が必要との判断でした。
師匠は、自分がそうであったように「件数の多いところがベスト」と考え、順天堂大学ではなく、慶應大学での治療を希望されました。