~特別編~第3章:昭和の医局文化と葛藤

師匠は何事につけても、今でいうところの“昭和”な人でした。当時の言動は、おそらく現代であればパワハラと認定されるような場面も多々あったように思います。師匠自身も、他施設からの評価と大学内での評価に差があったようで、私たち弟子は常に気を張りながら仕事をしていました。
ある夜、医局の窓からふと外を見上げると、向かいのオフィスビルの窓にまだ明かりが灯っていました。
「まだ仕事している奴がいる。連中に負けないためには、俺たちももっと働かなければならない」
そう言われ、すでに23時を過ぎていたにもかかわらず、終電ぎりぎりまで働く日々が続きました。
今振り返れば、非常に過酷な日常でした。しかし当時は、オフィスビルの中も同じような状況だったのかもしれません。すなわち、あの時代は“長時間働くことが当然”とされており、自分たちのポジションをさらに先に進めるには、他より努力しなければならない──そんな価値観が社会全体に根付いていたのです。
落ちこぼれとしてスタートした私は、本来であれば実家に戻り父の仕事を継ぐことを前提としていました。しかし、この環境の中で結果的に頭角を現し、一定の注目を集めるようになっていました。

ある時、江戸時代から続く由緒ある病院の御曹司で、実家を継ぐことが運命づけられていた先生が、私にこう言いました。
「俺は帰らなければならない。だが、お前は違う。必要なら誰かが実家を継ぐだろうし、正直、お前の実家がなくなっても困る人は多くない。だが今のお前は、ここにいて先に進まなければならない。それだけのポジションにいることを忘れるな。」
正直、少しイラっとしました(笑)。
しかし同時に、自分がこの武内グループの一員として“必要とされる存在”になったことを確信した瞬間でもありました。
そこからは、師匠に言われるがまま、臨床と研究に没頭する日々でした。早朝から採卵を行い、手術をこなし、胚移植も担当する。そして他グループの先生方と同様に当直業務もこなす。今考えると異常な働き方でしたが、師匠はそれ以上に働いていたため、当時はそれが“普通”でした。
──ある出来事が起こるまでは。