2300年 未来への旅
かなり古い映画ではありますが、考えさせられる内容だったため、今回ご紹介したいと思います。1970年代の作品であり、当時は「人口爆発」と「エネルギー不足」が深刻に懸念されていた時代背景があったことを、まず念頭に置く必要があります。
物語の舞台は遠い未来。生殖は完全に自動化され、子どもは人工的に作られる世界です。人口を調整するため、30歳になると宗教的な儀式によって処刑される――そんな設定だったと記憶しています。時代背景を反映した極端なストーリーではありますが、現代の「少子化による人口減少」という状況を踏まえて見直すと、人工的な繁殖技術が確立すれば人口コントロールが可能になるという点で、むしろ示唆的に感じられます。
現時点では、妊娠・出産は女性にしか担えず、生殖の負担が女性に偏ることは避けられません。少子化の一因として、この負担の大きさから妊娠・出産を選ばない人が増えていることは否定できないでしょう。さらに、出産後の育児負担も依然として女性に重くのしかかっています。そう考えると、人工的な繁殖が現実味を帯びたとき、初めてジェンダーギャップが本質的に解消される可能性があるのかもしれません。
また、「30歳で処刑」という設定は現代では想像しがたいものですが、社会保障の逼迫や世代間の分断といった問題を象徴的に描いているようにも思えます。もし現代の価値観で同じSFを作るとすれば、30代はまだまだ現役世代ですし、生殖が自動化されたとしても、処刑年齢はもっと高く設定されるでしょう。
SFは常に、その時代の不安や価値観を映す鏡です。50年以上前にこのような未来像が描かれていたことは驚きですが、人口減少が現実となった今、当時の想像がまったく的外れだったとも言い切れません。
映画のストーリーは、30歳を前にした男女が儀式から逃れ、外の世界を知るというものです。生殖や生命は、人間の尊厳に深く関わるものであり、科学がどれほど発達しても、そのすべてを管理しようとすることはやはり誤りである――そんなメッセージが込められていました。
生殖補助医療は今も進化を続けており、上述したような未来が全くの夢物語とは言えなくなりつつあります。しかし、次世代を生み育てる負担は、現時点では依然として女性に偏っています。だからこそ、社会がその負担を支えるべきであり、「女性のわがまま」と片づけるような態度は慎むべきです。ましてや、無理に産んでもらおうとする発想は、あまりにも傲慢だと感じます。


