あれから15年

あれから15年。
今日という日は、毎年、私たちの胸に静かに重さをもたらします。
被災された方々に哀悼の意を表するとともに、今なお続く廃炉作業をはじめ、一日も早い復興を心より祈念いたします。
私はあの日、まさにその時、腹腔鏡下手術の最中でした。当時の順天堂大学一号館は耐震構造ではあったものの免震構造ではなく、震源から離れていたとはいえ大きく揺れ、手術を一時中断せざるを得ませんでした。
患者さんのベッドは床に固定されていたため大事には至りませんでしたが、麻酔カートが倒れ、薬剤が散乱し、麻酔の継続が難しい状況に陥りました。さらに、停電や電源の不安定化が起こる可能性があったため、人工呼吸器の使用を続けることが危険と判断され、麻酔科の先生はやむなく手動換気に切り替えざるを得ませんでした。
このような場面で痛感したのは、日頃の訓練の重要性です。手術室スタッフの連携は見事で、麻酔導入前や手術開始直後の症例は中止、緊急事態下では「患者さんに不利益を与えず、可能な限り早く手術を終える」ことが全手術室に指示されました。
その中で、当日一号館で手術続行が許可されたのは、心臓血管外科のバイパス手術と、私が担当していた腹腔鏡下手術の二件のみでした。ただし私への指示は「できる限り早く終了すること」。麻酔の継続が困難な状況であったため、麻酔科の先生に「あとどれくらい麻酔が持ちますか」と確認し、その時間内に終えることが必須でした。

極限状態では、人は普段以上の力を発揮できるのかもしれません。
人工呼吸器を外し、泣きながら麻酔バッグを押していた麻酔科の先生に伺うと、「あと3分くらいです」との返答。私はなぜか「十分です」と答えたことを今も覚えています。
幸い状況にも恵まれ、3分以内に閉創まで到達し、指示通り手術を終えることができました。しかし私たちは手術室内で待機を命じられていたため、テレビで流れていた津波の映像をリアルタイムで見ることはありませんでした。後日、患者さんが「あの惨事をリアルタイムで見なかったのは、ある意味で貴重な経験だったのかもしれない」と仰っていたのが印象に残っています。
あの日は金曜日でした。その週末には産科婦人科内視鏡学会の腹腔鏡トレーニングが予定されており、私も参加する予定でしたが、当然ながら中止となりました。ただ、関西の先生方は当初状況を十分に把握されておらず、ギリギリまで中止の判断が下されなかったのです。阪神淡路大震災の際に関東での認識が十分でなかったのと同様、同じ日本でも距離が離れれば状況の実感は大きく異なるのだと痛感しました。

時間と空間が離れれば、記憶はどうしても薄れていきます。
だからこそ、あの日のことを忘れず、今もなお苦しんでいる方々がいることを、改めて心に留めておく必要があるのだと思います。
そして、あの日を忘れないことは、過去を振り返るだけではなく、未来に同じ悲しみを繰り返さないための誓いでもあるのだと感じています。