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特別編 院長

~特別編~ 外勤先と出向先

大学での働き方ですが、週休2日のうち1日は「研究日」として与えられ、その1日で関連病院の前日当直と日勤を行い、そこでの報酬──いわゆる“バイト”で生活費を賄うのが一般的でした。
大学からの支給は月3万円ほどで、とても生活できる額ではなく、外勤や当直が実質的な収入源でした。
働き方改革で多少変わりましたが、当時は連日で当直する“連直”も普通に行われ、当直明けの勤務も当たり前でした。

そんな中での週1回の外勤は、いつもと違う空気が吸える、いわばオアシスのような存在でした。
私も多くの病医院にお世話になりました。

最初に出向したのは武谷病院(現在のアルテミスウイメンズホスピタルの前身)でした。
清瀬市にある病院で、正直、私の分娩や手術の基礎はここで教えていただいたようなものです。
お産は当直中にも多く、多くの経験を積ませていただきました。

国際親善総合病院にもよく当直に行かせていただきました。
私の手術のベースは、最初に出向した順天堂浦安病院と、この二つの病院で培われたと感じています。

出向先としては、江東病院に半年ほど勤務したこともありました。
地域密着型のやや緩やかな病院で、大学での研究とこちらでの勤務を行き来しながら、博士論文のための研究を進めました。
1999年末に勤務していたことを覚えており、2000年問題で何か起こるのではないかと待機していた記憶があります。

さらに、越谷市立病院という公立病院にも出向しました。
手術件数の多い病院で、手術の上手な先生のもとで研修するという目的もありましたし、人工授精までではありますが、不妊治療も担当しました。
当時の医局は人材派遣の機能もあり、大学から誰かを派遣することは義務でもありました。
また、大学にはいくつかのグループがあり、各グループから均等に出向者を出すという“バランス”も背景にあったようです。

林外科医院という、武内先生が手術に出向いていた施設にも、グループから一人、助手として出向するのが外勤のひとつでした。
当時は“ミニラパロ”と呼ばれる細径腹腔鏡(2〜3mmのスコープ)を用いた腹腔内観察や簡単な手術を行っていました。
子宮筋腫核出後の創部や癒着を評価する“セカンドルックラパロ”も行い、それらは論文にもなっています。

林外科医院はすでに閉院していますが、当時は武内先生と一緒に近くのラーメン屋・ホープ軒で昼食をとるのが週一回の楽しみでした。

その後、このシステムを引き継いだのが江東区のあそか病院でした。
武内先生が入院された後は、私がこのシステムを引き継ぎ、こちらで小腹腔鏡を行い、さらに少し大きな手術もできるようにアップデートしました。
大学での手術待ち時間が長くなっていたこともあり、患者さんを紹介し、こちらで手術を行う──そんな流れが生まれました。

回顧録にも記しましたが、いくつかの病院をまたいで手術を行っていた背景には、このような外勤・出向の文化があったのです。