~特別編~第10章:浦安への異動──“生きた証”を残す決意
2年という短い期間ではありましたが、順天堂江東高齢者医療センターでの仕事は非常に充実していました。そして、さらなる飛躍として、私は順天堂浦安病院へ赴任することになりました。
前述のように、当時の私はやや厭世的になっており、
「生きていた証として、何かを残したい」
という思いが強くなっていました。
たとえ大学を辞したとしても、その後に胸を張れる実績を残したい──
そんな気持ちが芽生えていたのです。
順天堂浦安病院は、順天堂大学の分院の中でも古い歴史を持ち、本院・静岡に次いで3番目に創設された総合病院です。地域医療を支え、救急医療にも対応する、非常にアクティビティの高い施設でした。
それまで勤務していた江東高齢者医療センターは、6分院の中で最も新しく、救急対応はなく、婦人科単科の病院でしたから、浦安への異動は生活が一変するものでした。また、複数施設をまたいで勤務していた私の働き方も、異動とともに終了することになりました。これは当時の婦人科教授の指示でしたが、後にさまざまな波紋を呼ぶことになります。
本院時代と同様に産科当直も行い、緊急手術にも対応しなければならず、忙しさは倍増しました。にもかかわらず、学会や講演会はこれまでと同じペースで続き、私は徐々に疲弊していきました。
私が浦安病院に異動した理由は明確でした。
浦安市内に不妊治療専門のセンターが存在せず、大学病院である浦安病院も不妊治療に対応できていなかったのです。浦安市からの要請を受け、浦安病院に不妊治療センターを創設することになり、私が初代センター長としてその立ち上げを任されました。
もちろん浦安市も費用負担をする予定でしたが、ひとつ問題がありました。
大学病院とはいえ、市税を投入するには“理由”が必要なのです。
そこで、研究費として浦安市から寄付を受ける形で寄付講座を設立し、その寄付金でセンターを立ち上げるという計画が立てられました。
どのような研究として立ち上げるのか──
病院長、浦安産婦人科教授、そして私の3名で浦安市の担当者と会い、研究内容について議論する場が設けられました。
当初は市の担当者との打ち合わせの予定でしたが、急遽、浦安市長がその場に同席することになったのです。
そして、
あのプロジェクトが始動することになるのです。


