~特別編~第9章:悲喜こもごも──人生の岐路
浦安への異動が決まった頃、私は別の病院からも声をかけていただいていました。
日本大学駿河台病院が改装に合わせて婦人科を一新する計画があり、その部長として来てほしいというお話でした。
Tanko手術でご一緒した外科の先生方が、私の手術動画を見て推薦してくださったようです。新しい病院の設計図を見ながら意見を求められることもあり、その熱量に触れるうちに、私自身も心が傾き始めていました
しかし、その矢先に山形先生が病を悪化させ、米国で肝移植を受けることになりました。
出発前、先生から直接お電話をいただきました。
「これが最後になるかもしれない。無事に帰ったら、よろしく頼む。」
私はちょうど縫合講習会の講師をしている最中でした。
その言葉は、静かに胸に落ちてきました。
それが、先生との最後の会話となりました。
人の命は、こんなにも儚く、突然途切れてしまうのか──
その思いが、しばらく心の底に沈んでいました。
落ちこぼれの私を産婦人科に導いてくださった桑原教授。
腹腔鏡手術と不妊治療の師匠である武内先生。
そして山形先生。
私を導いてくれた方々が、次々と遠くへ行ってしまう。
そんな感覚が、静かに積み重なっていきました。
さらに、小児科の先生、精神科の先生、最初にお世話になった医局長の先生──
多くの恩師を亡くしてきた経験が重なり、いつしか私の根底には、
「自分の命すら、いつ絶たれるかわからない」
という思いが流れるようになっていました。
3.11の揺れも、その感覚を強めたのだと思います。
あの日、本院で手術をしながら感じた胸のざわめきは、
「自分はどこへ向かっているのか」
という問いを静かに残しました。
だからこそ、浦安への異動を最後に、
「自分の好きなことをやった方が良いのではないか」
「大学でできないのであれば、大学を辞することも選択肢ではないか」
と考えるようになりました。
静かに、人生の岐路に立っていたのだと思います。


