~特別編~第8章:特異な働き方と 3.11

順天堂江東高齢者医療センターでの私の働き方は、少し特異なものでした。
先任准教授として部長を務めながら、本院での手術継続を理事長から命じられていたため、週ごとに拠点を移動する生活が続いていました。
センターで外来や手術を行いながら、本院では腹腔鏡手術を担当し、さらに電子カルテ導入委員会の業務にも携わる──
いわば「二つの病院を行き来する働き方」で、当時としては珍しいものでした。
ほぼ毎日手術をしていたため、技術を磨くには恵まれた環境でした。
しかし、拠点が分散していることへの戸惑いもあり、部長でありながらセンターに常駐できないことに、申し訳なさを感じることもありました。
この働き方は、大学上層部には評価されていたようですが、理解されない面もありました。「医局にずっといることが是」とされていた価値観の中では、私のような働き方は理解されない面もあったのだと思います。

そんな中、あの 3.11 が起こりました。
金曜日、本院で腹腔鏡手術を行っている最中でした。
免震ではない1号館は大きく揺れ、器具が震え、照明が揺れ続ける中で、なんとか手術を完遂しました。その瞬間は必死でしたが、後になって、胸の奥に静かなざわめきが残りました。
「自分は何を守り、どこへ向かっているのか。」
あの揺れは、ただの地震ではなく、価値観の揺れでもあったように思います。
その後、再び異動の話が持ち上がりました。本来は別の医師が対象でしたが、その先生が辞退したため、私に話が回ってきました。それが、後に卵子凍結プロジェクトで知られることになる、順天堂浦安病院への異動でした。
江東高齢者医療センターにはまだ2年しか在籍しておらず、ようやく軌道に乗り始めたところでしたので、最初は迷いもありました。
しかし、3.11を経験した私は、どこか厭世的になっており、
「そろそろ大学を辞してもいいのではないか」
「この異動を最後にしてもいいのではないか」
そんな思いが静かに芽生えていました。
私は、そのオファーを受けることにしました。