~特別編~ 第19章:メディカルパークへ──そして後輩からの助言
下関で生殖医学会がありました。私は浦安プロジェクトについて発表し、降壇したとき、他の先生方からの質問に紛れて、医師ではない方がひとり近づいてきました。
名刺を差し出し、「お話があります」と。
リクルートの方でした。
多くのオファーをいただいていた中で、わざわざ現地まで来られた方はいませんでした。その時点では具体的な法人名は明かされませんでしたが、その熱意に打たれ、私はメディカルパークへの移籍を決めました。
出会いは、いつも“タイミング”なのかもしれません。
今思えば、他のオファーを受けていた可能性もあったでしょう。
しかし、その方はとても積極的でした。
ご縁とはこういうものなのでしょう。
その後、メディカルパーク──桐杏会の田中雄大理事長にお会いすることになりました。
噂が広まるのは早いもので、私の異動はすぐに話題になりました。
いくつか面白いエピソードがあります。
ある学会で、各大学の教授陣が集まった場で私の話題になり、
「教授を期待されていた医師が突然移籍するのは、何かあるのでは?」
と勘繰られたようです。
そこで、他大学の重鎮の先生が、大学に迷惑をかけないようにと、こう言ったのだそうです。
「1億円積まれたらしいよ」
その一言で、私の移籍は“夢のある話”として丸く収まったようで、
その後、何度もその話を耳にしました。
おそらく方便だったのでしょうが、私も夢のある話として、
「その通りです」
と返すようにしています。
さて、私の移籍を聞きつけた弟子のひとりから電話がありました。
彼は言いました。
「なぜ他大学の教授選に出ないのですか?」
順天堂大学の教授にもならず、他大学の教授にもならない。
それは“極めた者のキャリア”としてどうなのか──
そう問われたのです。
しかし、私の意志はこれまでお話しした通りでした。
教授になることだけが幸せではない。
自分には別の幸せがある。
論文もできる範囲で投稿し続けるし、キャリアとして終わりではなく、新たなステージだと考えている。
そう伝えました。
すると彼は言いました。
「じゃあ、幸せになってください。医局の後輩は先生を見ています。皆のための新たな目標として、モデルケースになってほしい。」
私は答えました。
「今幸せだし、もっと幸せになるよ。」
それが、彼と交わした最後の言葉になってしまいました。
彼もまた、病に倒れてしまったのです。
彼との約束を果たすために──
私は幸せでなければならない。
これまで私を支えてくれた師匠をはじめ、先輩、後輩、そして早くに天に召された先生方の分も。
だからこそ、
ここでできることをやらなければならない。
そう心に誓ったのでした。


