~特別編~ 第1章:プロローグ、落ちこぼれの出発点
私がそれなりに恵まれた環境にいたことは事実として受け止めています。しかし、他の先生方の目には、私は「逆境をくぐり抜けてきた人間」と映っているようです。確かに大学時代、大学内での評価と大学外での評価には大きな乖離がありました。そのため、外から私を見ていた方々には、「なぜ彼があのような扱いを受けているのか」と不思議に思われていたようです。
ただ、私自身の感覚としては、外部からの評価が過剰だっただけではないか、と考えています。学会発表や講演会など、大学外での活動が多かったため、それだけを見れば優秀に映ったのかもしれません。
実際の私は、このブログでも何度か触れている通り、最初は産婦人科ではなく、他大学のリハビリテーション科に入局しました。しかし体調を崩して途中退局し、いわば“落ちこぼれ”として母校の産婦人科教授に拾っていただき、産婦人科医としてのキャリアをスタートさせたのです。途中入局は当時珍しく、人間関係にも悩みましたが、落ちこぼれである以上、背伸びをせず、自分にできることをひたすら続けるしかありませんでした。
それが気づけば、素晴らしい師匠や先輩方、後輩にも恵まれ、さらに大学外での評価も相まって、他施設の方々と繋がる機会にも恵まれました。偶然が重なり、エポックなプロジェクトにも参加させていただくことができました。
心理学では、幸運な偶然が重なり合い未来へと繋がっていく現象を「セレンディピティ」と呼びます。私のキャリアはまさにその連続でした。落ちこぼれとして始まりながらも、前向きに「面白いこと」を探し続け、その先へ繋げていくことで、今の人生が形作られてきたのだと思います。
幼少期に目を向ければ、私の地元は当時、日教組が強く、共産党色の濃い地域で、反日的な空気すらあり、勉学に励むことなど推奨されない環境でした。しかし友人の誘いで塾に通い始め、中学受験をさせてもらえたことが、人生の大きな転機となりました。
すべては偶然だったのかもしれません。しかし私は、その偶然を偶然のままにせず、「何か先につながるものはないか」と常に考えてきました。その癖は今でも続いており、おそらくこの性格こそが、セレンディピティを呼び込む源なのだと思います。
良いことばかりが続く人生などありません。悪いことが続く時期もあります。しかし、その背後にも何か意味があるかもしれない、と考えながら前に進むことが、私にとっての生き方なのです。


