三つ子の魂百まで

独白です。これまでの自分の言動や考え方を振り返ると、どうにも「反体制的」といいますか、長いものに巻かれることに抵抗する性質があるように思います。ただ、いわゆるリベラルかと言われると、それも少し違う気がします。むしろ私は、体制に対してだけでなく、自分自身の考え方や立ち位置に対しても、どこか距離を置いて眺めてしまうところがあります。
その根っこにあるものを探るために、私の生まれ育った土地の特殊性について触れておこうと思います。

私は幼少期、小学生までを高知県中村市(現在の四万十市中村)で過ごしました。父が医師で転勤が多く、香川県や高知県内を何度か移動しましたが、物心ついて中学に入るまでの中心は中村市でした。
高知県、特に西部の幡多地域は、戦後一貫して革新勢力が強い土地柄です。農村部でありながら社会党・共産党の支持が厚く、教育現場では日教組の影響も強かった地域です。広島や沖縄が平和教育の影響で国旗・国歌に慎重であるように、この地域にも独自の歴史的背景がありました。
その象徴ともいえるのが、社会主義者・平和主義者として知られる幸徳秋水の存在です。
彼は幡多郡の出身で、1910年の「大逆事件」で天皇暗殺を企てたとして死刑に処されましたが、現在では冤罪であったと考えられています。国家権力による思想弾圧の象徴的事件であり、この地域の政治文化に深い影響を残しました。
こうした歴史的背景もあってか、私の故郷では「国家」や「権威」を絶対視しない空気が自然に存在していました。軍国主義を想起させるものは徹底して避けるという姿勢があり、少なくとも私が小学生だった頃、一度も国歌を斉唱した記憶がありませんし、国旗掲揚を見たこともありません。給食も「軍国主義の名残」とされ、弁当持参か、近所の子は家に帰って昼食をとるという独特の環境でした。
この話をすると、多くの人が驚かれます。
「国歌を知らないなんて本当にあるのか」
「国旗を見たことがないとはどういうことか」
しかし、広島や沖縄と同じように、地域の歴史が教育文化を形づくるのは自然なことです。私にとっては、それが“普通の風景”でした。
このような、ある意味で極端とも言える幼少期を過ごしたためか、私の中にはどうしても反体制的な感覚が残っているのかもしれません。
ただ、ここで一つ付け加えるなら、私の反体制性は「体制」だけに向かうものではありません。
むしろ私は、自分自身の考え方や立場に対しても、どこか懐疑的で、批判的で、距離を置いて眺めてしまうところがあります。自分の価値観すら「本当にそれでいいのか」と問い直してしまうのです。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、当時の空気や価値観は、今も私の中に色濃く残っています。しかし同時に、その価値観に寄りかかりすぎないよう、自分自身をも俯瞰し続ける癖がついたのも、あの土地で育ったからこそなのかもしれません。
権威に距離を置く姿勢と、自分自身を相対化する癖。
その両方が、私の中で静かに共存しています。