性教育の不足と人口減少について考える
これまでも触れてきましたが、日本では性教育が十分に行われているとは言い難い状況があります。こども家庭庁はプレコンセプションケアの一環としてサポーター制度の整備を進めていますが、そもそも初等教育の段階で「人生設計の中で生殖をどう位置づけるか」「妊孕性には限界があること」などの基本的な情報が十分に伝えられてきたとは言えません。
性教育の不足が少子化の唯一の原因ではありません。少子化は経済、価値観、労働環境、地域構造など多くの要因が複雑に絡み合う現象です。しかし、妊娠・出産に関する知識が不足していることが、結果として「意図しない晩産化」につながり、少子化の一因となっている可能性は否定できません。
先進国の多くが少子化に直面している現状を踏まえると、子どもを産み育てることに社会的なインセンティブがなければ、出生率が自然に回復することは考えにくいでしょう。価値観が多様化した現代では、「子どもを持つことが得である」という社会的雰囲気がなければ、出生数が増えることは期待できません。
また、生物学的に妊娠しやすい時期と、学業やキャリア形成の重要な時期が重なるという構造的な問題もあります。二者択一ではないにせよ、ある程度計画的に妊娠を考えるためには、生殖に関する正確な知識が不可欠です。それを初等教育から外してきたことは、長期的に見て大きな損失だったと言わざるを得ません。
人口減少が大きな話題となっていますが、1970年代に懸念された「人口爆発」とは価値観も状況も大きく異なります。今後は、人口減少を前提とした社会のあり方を模索することが重要になるでしょう。
都市部と地方の格差も深刻化する可能性があります。全国的に人口は減少しますが、都市部は人口集中により減少が緩やかになる一方、地方ではインフラ維持が困難になる地域も出てくると考えられます。便利さを求める人は都市部へ、ゆとりある生活を求める人は地方へ、という住み分けが進むかもしれません。
ただし、都市部の生活は家賃や物価の上昇によって「贅沢品」化する可能性もあり、都市と地方の格差はさらに広がるかもしれません。こうした変化をどこまで受け入れ、どのように軟着陸させていくかが、これからの社会の課題になると感じています。私が子どもの頃に思い描いた未来とは異なりますが、それでもディストピアと断じる必要はないでしょう。知恵を出し合いながら、持続可能な社会を築いていくことを願っています。


