医療訴訟と合併症
我々産婦人科医にとって忘れられない事件に、福島県立大野病院での癒着胎盤による母体死亡の事例があります。後ほど触れますが、医療には100%の安全は存在せず、どれほど医療従事者が尽力しても、一定の確率で合併症は起こってしまいます。産科では、妊娠・分娩中の急変により母子が命を落とすことは極めて稀ではあるものの、毎年発生しています。突然の大量出血や胎児の急変など、産科医療は常にリスクと隣り合わせです。
しかし、ほとんどのお産が安全に終わるため、一般の方々にとっては、合併症が起こると“医療ミス”と受け取られてしまうことも少なくありません。そして、残念ながら司法の側にも、医療の特性を十分に理解していない判断が下されることがあります。過失がなくても不幸な結果が生じてしまうのが医療であり、これは避けられない現実です。
とはいえ、結果として患者さんやご家族が深い悲しみを抱えることは事実であり、一定の補償は必要です。そのために、無過失であっても補償を行う「産科医療補償制度」が2009年に発足しました。
最近も他科で医療訴訟が続いています。“弱者救済”を掲げながら、無過失で治療に尽力した医師が訴えられてしまうのでは、本末転倒ですし、未来の医療を萎縮させてしまいます。以前このブログで触れた“直美”問題も、根底には同じ構造があるのかもしれません。世間では「悪徳医師が事故を起こしている」というイメージがあるのかもしれませんが、少なくとも私はそのような医師を見聞きしたことはありませんし、患者さんを傷つけたいと考えて医療に従事する医師は皆無だと思います。
航空機事故では、原因究明と再発防止を最優先するため、事故調査委員会が設置されます。パイロットは調査に全面協力することが求められますが、国際的には刑事責任追及よりも安全性向上が優先される文化があります。
ここで重要なのは、パイロット自身も事故の被害者になり得るという点です。墜落事故ではパイロットも命を落とす可能性が高く、故意に事故を起こす動機はほぼ存在しません。したがって、「隠蔽して責任を逃れよう」という構造が生まれにくく、原因究明を最優先する仕組みが成立しやすいのです。
一方、医療事故では医師自身は身体的な被害を受けません。そのため、結果が悪いと“誰かの過失”と捉えられやすく、専門知識の非対称性も相まって、「本当に過失がなかったのか」という疑念が生じやすい構造があります。この構造的な違いが、医療訴訟の増加や萎縮医療につながっている面は否めません。
実は私自身、自家用操縦士免許を取得しており、航空の世界で重視される「原因究明と再発防止」の文化に触れてきました。航空では、パイロット自身が被害者となり得るため、故意や隠蔽の動機がほとんどありません。この構造が、責任追及よりも原因究明を優先する文化を支えています。一方、医療では医師自身は被害者ではないため、結果が悪いと“誰かの過失”と捉えられやすいという構造的な違いがあります。
この二つの世界を知る立場から見ると、医療においても「責める」より「再発防止」を優先する仕組みが必要であり、無過失補償制度はその一つの形だと感じています。
私は大学時代、リスクマネージャーを務めていました。当時の主任教授であった木下勝之先生は、産科医療補償制度の策定に尽力された先生のお一人であり、制度の背景や理念について直接お話を伺う機会がありました。前回のピル承認の話と同様、何かを動かすには大きな力と多くの先生方の努力が必要であることを痛感しました。
この無過失補償の仕組みは、他の診療科にも広がるべきだと考えています。医療と司法の認識には大きな隔たりがあり、そのギャップを埋める仕組みとして、無過失補償制度は重要な役割を果たし得るからです。
木下先生は先日ご逝去されました。制度に込められた先生の思いを振り返りながら、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


