人間的自信

私がYMOの「東風」という曲をこよなく愛していることは、以前このブログでも書きました。その作曲者である故・坂本龍一氏が、同じくYMOのリーダーだった細野晴臣氏との対談の中で、「最近になって関係が良くなった」と語っていたことがあります。
“最近”といっても坂本氏がまだお元気だった頃の話ですから、すでに何年も前のことになります。
YMO解散の背景には、お二人の関係悪化があったと言われています。それだけに、関係が改善したという話は、ファンとしても嬉しく、強く記憶に残っています。
細野氏によれば、当時の関係悪化の理由の一つは、坂本氏の“父親との関係”にあったそうです。坂本氏の父は出版界の重鎮で(三島由紀夫氏の編集担当だったとのこと)、坂本氏には強いファザーコンプレックスがあり、目上の人に反発するようなところがあった、と細野氏は冷静に分析していました。
ところが、坂本氏はある時期に父親と大喧嘩をし、それをきっかけに「怖い存在だった父と、やっと普通に話せるようになった」と語っていました。
父を乗り越えたことで、細野氏とも自然に向き合えるようになったのではないか――細野氏はそう推測していました。
また別の番組では、坂本氏が当時の妻・矢野顕子氏について「中卒なのに、神がかったような人間的自信に満ちている」と語り、自分にはその“人間的な自信”が欠けている、とも話していました。大学院まで出てもなお、自信が持てない――その言葉は印象的でした。

私自身の「父を超える」までの道のり
実は私にも、父が怖い存在だった時期があります。
父の方が頭が良いと感じていましたし、同じ医師という職業で、到底勝てないと思っていました。
だからこそ、私は最初、父と同じ産婦人科をあえて志しませんでした。
しかし別の科に進んだ後、さまざまな事情が重なり、その道を断念。
敗北感を抱えたまま、途中から産婦人科に入局することになりました。

その頃の私は、
「自分は落ちこぼれだ」
「父を超えるなんて、もう不可能だ」
と本気で思っていました。
競争心も攻撃性も消え、「給与がもらえれば十分」と考えるほど、自信を失っていたのです。
ところが、その後、周囲の方々の助けもあり、大学でのポジション、論文数、学会でのプレゼンス、海外での発表など、思いがけない経験を重ねることができました。
気づけば、父が夢見ていたことを、私自身が実現していたのです。

父を超えた瞬間は「気づいたら」訪れていた
私の場合、「父を超えた」と感じた瞬間が劇的に訪れたわけではありません。
むしろ、気がついたら、そうなっていた――という方が近いのです。
離れて暮らしていたこともあり、父との距離感は長い時間をかけて変化していきました。
私の講演会に父が来てくれたことが何度かあり、その頃からでしょうか。
かつては怖い存在で、到底勝てないと思っていた父が、いつの間にか私の話を静かに聞き、応援してくれるようになっていました。
その変化を、当時の私は深く意識していませんでした。
しかし今振り返ると、あの頃すでに、父との関係は「上下」ではなく「対等」へと移り変わっていたのだと思います。
気づいた時には、父の視線が“評価する目”ではなく、“誇りを持って見守る目”に変わっていたのです。
その瞬間、長く抱えていた劣等感やコンプレックスが、静かにほどけていきました。

人はいつ「大人になる」のか
子どもが親を超えて大人になっていくように、私たちはどこかで親や師を乗り越える必要があります。
しかし、それは簡単なことではなく、一生かけても叶わない人もいるでしょう。
坂本氏が晩年に父を超えたと感じたように、その時期は人それぞれなのだと思います。
私が幸せにいられるのは、師と仰ぐ先生方が晩年に声をかけてくださったこと、そして父が最期の頃に私を認めてくれたこと――それらが、私が大人になれた証なのだと感じています。
そして今、私を師と慕ってくれる後輩たちや、私の子どもたちが、すでに私を超えていっていると感じます。それはとても幸せなことです。
「若い者には負けん」と張り合うよりも、自分を超えて先へ進んでくれる方が、未来はずっと明るい。
人類はきっと、そうやって歩みをつないできたのでしょう。