エフォート!エフォート!
「エフォート」とは「努力」や「尽力」を意味しますが、今回は“ある物事に対して私たちがどれだけ労力やエネルギーを注ぐか”という視点からお話ししたいと思います。
大学時代、研究プロジェクトに関わった際、研究計画書には「誰が何パーセントの労力を割くか」という欄がありました。各メンバーの「エフォート」に応じて、論文の著者順や評価指標(インパクトファクター)の配分が変わってくるのです。この経験から私は、「エフォート」は単なる努力以上に、成果や評価に直結する要素であると実感しました。
人生における「エフォート」の配分
この「エフォート」という考え方は、仕事・家庭・趣味・育児など、人生のさまざまな場面において、「どこにどれだけ労力を注ぐか」を考える指標にもなります。限られた時間のなかで、何にどれほどエネルギーを注ぐのか。その答えは、ワークライフバランスだけでなく、個々人の価値観やライフステージによっても大きく異なるでしょう。
昭和から平成初期にかけては、「企業戦士」や「24時間戦えますか」といった言葉に象徴されるように、仕事に全力を注ぐことが美徳とされていた時代でした。しかし、その裏には、専業主婦の存在や家族の支えといった土台があったことを忘れてはなりません。独身世帯であっても、親やきょうだいからのサポートがあった方も多かったのではないでしょうか。
私自身も、家族の手厚い支えがあったからこそ、当時は仕事に多くのエフォートを注ぐことができました。「診療が終わってからが勝負だ」と先輩方に言われ、師匠との帰り道にオフィスビルの明かりを見ては、「まだまだ働いている人がいる。もっと頑張らねば」と、本気で思っていたあの頃。今となっては少し無茶だったとも感じますが、それが当たり前の時代だったのです。
これからの「エフォート」のあり方
時代は大きく変わり、今では「そこまで仕事にエフォートを割けない」ことが自然になりつつあります。だからこそ、昭和・平成時代のような働き方と同じ成果を、現代に求めるのは酷なことなのかもしれません。もしかすると、私たちが享受しているサービスのいくつかは、誰かの過剰なエフォート、つまり犠牲のうえに成り立っているのかもしれないのです。
前回のブログでも触れましたが、働き方改革とは、働く側だけでなく、その成果を受け取る側も「高すぎる目標を掲げすぎない」姿勢を持つことが大切です。これからの時代、自分の人生において「どこに、どれだけエフォートを注ぐか」を柔軟に見つめ直すことが、より豊かで自分らしい生き方につながるのではないでしょうか。