ウォーキズムとバックラッシュ

“ウォーキズム”という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか?”ウォーク”とは”woke”即ち“気づいた”、“気づいている”という意味で、特にマイノリティの方々が、置かれてしまっている差別的な状態に対して警鐘を鳴らす意味があったようです。そのような意味においては、尊重されるべきものだと思われますし、まさに当事者以外が“気づかされる”ことも多くあるでしょう。多様性の社会においては、それによる“気づき”はとても重要だと思います。不妊治療の保険適用なども、そのような流れがあったかもしれません。

ただし、尊重されるべきものであっても、行き過ぎてしまうとやはり極端になってしまいがちなのが、特にネット社会だと思います。ウォーキズムの日本語訳ともされる「意識高い系」は、決して良い意味ではなく、中身が伴っていない薄っぺらな方々を差すこともあるそうです。その当事者ではなく、自身は安全な場所から理想を述べていくような「意識高い系」として揶揄されるようです。これは世界的に起こっているようで、その方々の理想に付き合いきれず、もっと足元をしっかりしよう、という揺り戻しが所謂“バックラッシュ”だそうです。「差別は良くない、それはわかっていても、とにかく今の生活が良くならなければどうしようもない」として米国の大統領はトランプ氏が返り咲いたように、我が国でも同様な揺り戻しが起こりつつあるようにも感じます。SDGsやLGBTQについての理解も重要、ただ、いくら理想を掲げても、足元の生活がおぼつかないようであれば支持されないのではないでしょうか。

票が取れることは重要であれ、政治の中枢にいる方々には、この国をさらに良くしていくため、マジョリティの意見のみならず、マイノリティや、声を上げづらいマジョリティの意見も、全てお聞きいただきたいと思うのです。政治家の方々の大変さはある程度知っている友利ですが、あえてそのように申し上げます。

日本の医療、特に国民皆保険制度は優れたシステムではありましたが、そろそろ限界が来ているようにも思います。理想論だけでは存続は困難であり、重要な議論を先延ばしせず、安全な着地点を模索していただきたいと切に願います。

” Virtue lies in the middle.”「徳は中庸にあり」何事も行き過ぎては良くないと考えます。これは医学の世界でも似たようなものがあり、ある新規治療が注目されても、症例を積み重ねることでその有用性が疑問視されていく、ということはよくありますし、極端から極端に揺り戻されることもあります。やはり中庸がどこにあるのか、我々もいつも考えながら診療に向き合いたいと思います。