~特別編~第13章:大波乱──学会との対立と“時の人”へ
市議会の予算委員会は2月に開かれ、それまでに寄付講座の詳細が決定されました。基本的には市長の鶴の一声ではありましたが、市議会も無事に通過し、寄付講座の設立が正式に決定しました。しかし、このプロジェクトはあまりにも特異であったため、プレスリリースに反応したマスコミからの取材依頼が殺到しました。そこで大学と市は、共同で記者会見を開くことになりました。 一方で、学会側にも動きがありました。2013年、米…
~特別編~第12章:卵子凍結プロジェクト──社会性不妊治療講座の誕生
市長の疑問は、極めてまっとうなものでした。「市内の若いAYA世代の女性で、卵子凍結の対象となる人は年間どれくらいいるのか?」という問いです。 当時、対象となり得る市内在住の若年女性は約1万人。その中で卵子凍結を必要とする人が少ないのであれば、市税を投入するプロジェクトとして説得力に欠ける──市長の懸念は当然でした。そこで私は提案しました。「加齢による妊孕性低下に備えるため、理由を問わず希望者に卵子…
~特別編~第11章:熱い市長──政策と情熱の邂逅
浦安市は、巨大テーマパークを抱え、都内で働く人々のベッドタウンとして発展してきました。特に“新町”と呼ばれる埋め立て地の新浦安エリアは、ヤシの木が立ち並び、高級マンションが林立する高級住宅街です。そのため高額納税者も多く、浦安市の財政は非常に健全でした。 3.11の際には液状化など甚大な被害が出ましたが、潤沢な財政のおかげで特別交付税を受けることなく、市内の財源のみで復興できたと伺いました。 担当…
~特別編~第10章:浦安への異動──“生きた証”を残す決意
2年という短い期間ではありましたが、順天堂江東高齢者医療センターでの仕事は非常に充実していました。そして、さらなる飛躍として、私は順天堂浦安病院へ赴任することになりました。前述のように、当時の私はやや厭世的になっており、「生きていた証として、何かを残したい」 という思いが強くなっていました。たとえ大学を辞したとしても、その後に胸を張れる実績を残したい──そんな気持ちが芽生えていたのです。 順天堂浦…
卵子凍結は未来の妊娠を保証する技術ではありません──融解後にうまくいかないケースから考える、正しい理解と上手な使い方
最近、SNSで卵子凍結を経験された方が、融解後に受精を試みたものの結果が得られなかったという投稿を目にしました。投稿者の方の詳細は分かりませんし、医療者として個別のケースについて論じることはできません。ただ、卵子凍結には構造的な限界があり、どなたにでも起こり得る現象であることは、専門医としてお伝えしておくべきだと感じています。 現在主流のガラス化凍結法は、技術が成熟しており、適切に行われれば融解後…
- カテゴリー
- 院長
~特別編~第9章:悲喜こもごも──人生の岐路
浦安への異動が決まった頃、私は別の病院からも声をかけていただいていました。日本大学駿河台病院が改装に合わせて婦人科を一新する計画があり、その部長として来てほしいというお話でした。Tanko手術でご一緒した外科の先生方が、私の手術動画を見て推薦してくださったようです。新しい病院の設計図を見ながら意見を求められることもあり、その熱量に触れるうちに、私自身も心が傾き始めていました しかし、その矢先に山形…
~特別編~第8章:特異な働き方と 3.11
順天堂江東高齢者医療センターでの私の働き方は、少し特異なものでした。先任准教授として部長を務めながら、本院での手術継続を理事長から命じられていたため、週ごとに拠点を移動する生活が続いていました。センターで外来や手術を行いながら、本院では腹腔鏡手術を担当し、さらに電子カルテ導入委員会の業務にも携わる──いわば「二つの病院を行き来する働き方」で、当時としては珍しいものでした。ほぼ毎日手術をしていたため…
霧の中で気づいたこと──子ども時代の『暇』が育てた想像力
子どもの頃、父と高知の山道をドライブしていたときのことを今でも思い出します。季節は初夏だったのでしょうか。湿った空気が漂い、視界を奪うような霧が立ち込めていました。前を走っていた車は日産のスカイラインで、丸いリアランプがぼんやりと赤く光っていましたが、霧のせいでブレーキを踏んでいるのかどうかが分かりづらかったのです。光量を上げても霧に散乱してしまい、赤い光はただ滲むだけで意味を持ちませんでした。そ…
- カテゴリー
- 院長
~特別編~第7章:米国からの誘いと異動
師匠亡き後、私たちラパログループはがむしゃらに走り続けていました。その勢いもあって、当時の私は学会参加や講演会への招聘が増え、かなり注目を集めるようになっていました。もちろん当直などのデューティーもこなしていましたので、身体には相当な負担がかかっていたはずですが、当時は「皆で頑張らねば」という気持ちが強く、それを大変だとは自覚していませんでした。 そんな中、Tankoでの取り組みが米国クリーブラン…
