~特別編~私のルーツ
回顧録では、医師になってからのお話が中心でした。ただ、その背景として「どこで育ったのか」をお伝えした方が良いと考え、今回はそんなお話をさせていただきます。 私は自覚していますが、イデオロギー的にはやや左寄りだと思います。理由は明確で、私が高知県四万十市の生まれであり、私が小学生だった当時の高知西部は日教組が強く、共産党の影響力が非常に強い地域だったからです。そのため、軍国主義を想起させるとして給食…
中国を“発展途上”と信じ続ける日本の危うさ
中国を訪れたとき、私は1980年代のアメリカで感じた空気とまったく同じものを感じました。留学時代、アメリカ人は日本人を敗戦国の黄色人種として扱いながら、同時にソニー製品をアメリカ製だと信じるほど、日本の技術力を正しく認識できていませんでした。表層では日本を下に見ながら、実際には日本の技術が脅威になっていた。その“認知の遅れ”こそが、当時のアメリカの最大の弱点でした。 そして今、その構造が日本にそっ…
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胚移植当日はどのように進む?受付から診察、移植後の報告書お渡しまでの流れ
今回は、患者様から「移植日の一日の流れを知りたい」というご質問をいただきましたので、移植当日の流れについて詳しくご紹介します。 ●移植日当日 当院 患者様 9:15 融解開始 ↓ 13:00 胚の状態を確認 ↓ 13:45~ 来院・採血 ↓ 14:00~ 胚移植 ↓ 15:00 診察・移植レポートのお渡し ①9:15~ 融解開始 当日移植する胚を順番に融解…
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~特別編~ 第22章(あとがき)──静かに選んだ道の先で
振り返れば、私の医師としての歩みは、決して計画されたものではありませんでした。落ちこぼれとして産婦人科に拾っていただき、その後も、偶然の連続のような日々でした。ただ、その偶然を偶然のままにせず、「何か先につながるものはないか」と考え続けてきたことが、結果として今の自分を形づくってきたのだと思います。 若い頃、私は教授になることを自然な目標だと感じていました。その背景には、志半ばで倒れた師匠の存在が…
余白が人生を豊かにするということ──エスカレーターの記憶から考える、体験と幸福の本質
子どもの頃、田舎に住んでいた私は、近くのスーパーにエスカレーターができたと聞き、わざわざそれを見に行ったことがあります。初めて乗ったあの瞬間の嬉しさは、今でも鮮明に覚えています。都会の人からすれば取るに足らない出来事かもしれません。しかし、あの時の私は、世界がひとつ広がったような気がして胸が高鳴ったのです。今では「エスカレーターで遊ばないように」というアナウンスが流れますが、子どもにとってはあれほ…
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~特別編~ 第21章:おまけの章──The Prime of Life
さて、小説家になってしまった私の後輩が、産婦人科を舞台にした小説を書いています。以前にも触れましたが、その中には、私をモデルにした「海崎先生」が登場します。ひたすらに突っ走っていた頃の私──今では懐かしくもあり、少し恥ずかしくもあります。しかし、小説の中の海崎先生は、あの頃の私そのままに、生き生きと、そして眩しいほどの熱量を持って存在しています。 私が好きな曲のひとつに、松岡直也さんの The P…
~特別編~ 第20章(最終章):エピローグ──幸せになるという約束
私の人生は、気がつけばもう後半を過ぎ、静かにエピローグへと向かっています。振り返れば、私は決してひとりでここまで来たわけではありません。むしろ、数え切れないほど多くの方々に支えられ、導かれ、背中を押されてきました。 落ちこぼれとして始まった私のキャリアは、師匠や恩師、先輩、後輩、そして家族──そのすべての存在によって形作られてきたものです。とりわけ、もう言葉を交わすことが叶わない方々。感謝を伝える…
「かわいい偏重社会」と少子化──日本の恋愛市場が抱える構造的ゆがみと、妊孕性の現実について
日本の少子化は、長らく経済や保育制度の問題として語られてきました。しかし、これらの対策がほとんど効果を上げていないことは、すでに誰もが知るところです。では、少子化の本質はどこにあるのでしょうか。生殖医療の現場で妊孕性の現実と向き合い続ける中で、私は、日本社会の恋愛市場そのものに構造的なゆがみがあるのではないかと感じるようになりました。そのゆがみを生み出しているのが、日本特有の「かわいい偏重文化」で…
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