命の値段について考える

少し刺激的なタイトルかもしれません。しかし先日、過去最高額となる治療薬が保険収載されたというニュースを目にし、医療に携わる者として、そして一人の市民として、改めて「治療費」と「命の価値」について考えさせられました。今日はその思いを綴ってみたいと思います。

デュシェンヌ型筋ジストロフィーという病
デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)は、先天的に発症する進行性の難病です。多くは小児期に症状が現れ、やがて呼吸筋も侵され、人工呼吸器が必要となり、最終的には命を落とします。
私自身、この病気を抱えた知人がいました。
彼は幼い頃から同じ疾患の子どもたちが暮らす施設で生活し、周囲の仲間が次々と重症化していく姿を見ながら、自分の未来もまた長くはないと悟っていました。支える家族も、病気の進行を止める手立てがない中で、ただ見守るしかありませんでした。

3億円の治療薬が意味するもの
今回保険収載された治療薬は、投与が一度きりとはいえ、価格は約3億円という非常に高額なものです。
希少疾患であるため、対象となる患者数は多くありません。遺伝子治療は製造コストも高く、薬価が高くても市場規模が大きいわけではありません。それでも、この薬が使えるようになったことは、患者さんと家族にとって計り知れない希望であり、社会として称賛すべき前進だと思います。
さらに日本の国民皆保険制度では、高額療養費制度により、患者さんの自己負担は多くの方で数万円〜数十万円程度に抑えられます。
小児の治療は、効果があればその人の長い未来を大きく変えます。家族にとっても、未来を共に描けるようになるという意味で、非常に大きな価値があります。

不妊治療もまた「未来を生み出す医療」
私たちが日々行っている不妊治療も、治療が成功すれば新しい命が生まれ、その子どもの人生と家族の未来が広がります。
「命の値段」という言葉は強いですが、国の存続や社会の活力を考えたとき、小児医療や不妊治療の重要性は決して小さくありません。
一方で、高齢者医療をどう考えるか
ここで誤解していただきたくないのは、私は高齢者医療を一律に批判するつもりは全くないということです。
高齢といっても背景はさまざまですし、社会を支え続けている方も多くいます。
ただ、もし「数か月の延命のみを目的とした医療」と「小児の治療」や「未来を生み出す医療」を、同じ財源の中で比較しなければならない状況があるとすれば、どちらを優先すべきかは非常に難しい問題です。

医療者だけに判断を委ねてよいのか
これまで、医療の優先順位づけは、暗黙のうちに医療者に委ねられてきた側面があります。
しかし、医療費の財源は国民全員が支える社会保険料です。
であれば、どの治療をどこまで公的に支えるべきか、国民全体で議論する必要があるのではないでしょうか。

成熟した社会に必要なこと
命の価値を数字で語ることには抵抗があります。
しかし、限られた財源の中で、どの医療をどのように支えるかを考えることは、成熟した社会にとって避けて通れないテーマです。

難しい議論ではありますが、未来の医療をより良いものにするために、私たち一人ひとりが向き合うべき課題だと感じています。