取材の「対価」について、ふと立ち止まって考えてみたこと
大学時代から現在に至るまで、新聞やテレビなどのマスメディアから取材依頼をいただく機会が時折あります。それはクリニックの広報活動の一環としての「案件」ではなく、記者の方が専門的な記事を執筆するために、取材対象として協力を求めてくださる、いわゆる本来の意味での「取材」です。
これまで私は、取材が無償であることに特段の疑問を持たず、自然に受け入れてきました。テレビ出演では出演料をいただくこともありますが、時間をかけたインタビューにおいても報酬が発生しないケースが多いのが現実です。報道の公平性を保つため、金銭的利害に左右されない情報発信が重視されているのだと理解しており、私自身もその姿勢に共感していました。「良い報道につながるのであれば、ボランティアでも構わない」と考えていたのです。
そもそも、医学研究の一環として行っている論文査読やガイドライン作成なども、ほとんど報酬はありません。専門性を活かした活動には「奉仕」の意味合いが伴うのが当然だと、どこかで思っていました。
しかし最近、他の先生方と共に取材を受ける機会があり、「報酬のない取材には違和感がある」というご意見に触れたことで、初めて別の視点に気づかされました。SNS上でも同様の声を目にすることが増え、私とは異なるスタンスを取る医師が増えてきているように感じています。
確かに私たちは、医師として専門的知見をもって発言しています。その発言が無報酬である場合、「責任を伴わない発言」と受け取られてしまう可能性もあります。また、取材元によって報酬の有無が異なる状況では、報酬を支払うメディアにのみ協力する傾向が生まれかねず、専門家としての矜持や一貫性が問われる場面も出てくるでしょう。
医師の社会的役割として「公衆衛生の向上と増進」があります。マスメディアを通じて情報を届けることは、その一端を担う重要な行為だと考えています。ただ、報酬の有無を誰が、どのように決めるのか、またその費用負担を誰が担うべきなのかを考えると、非常に悩ましい問題です。
現代社会では、あらゆる情報がほぼ無料で手に入り、誰もが情報発信者になれる時代です。そのような状況下では、マスメディアの存在意義そのものが揺らいでいるようにも感じます。信頼できる情報に対して対価を支払う人がいる一方で、マスメディアがその責任を果たし切れているのかが、今まさに問われているのかもしれません。加えて、厳しい経済状況の中、取材対象者に報酬を支払うことが難しいという現実もあるでしょう。
私自身は、信頼に足るメディアによって価値ある情報が発信され、それが読者、ひいては社会全体にとって有益なものとなることを願っています。だからこそ、自分が取材を受ける際に報酬を得るべきなのかどうか、ますます判断が難しくなっています。しかも、無報酬で受けた取材が記事になった際に、周囲から「案件だったのでは?」と誤解されてしまうこともあり、何とも言えないモヤモヤが残ります。
このブログを読んでくださった皆さまの中で、取材における報酬のあり方についてお考えをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示いただけますと幸いです。