こどもの日に寄せて

少し過ぎてしまいましたが、5月5日はこどもの日。毎年この日に子どもの数が公表され、少子化が着実に進んでいる現実を改めて突きつけられます。今年も過去最低を更新し、日本の少子化はもはや「受け入れざるを得ない事実」となって久しい状況です。

子どもを産み、育てることは、生物として極めて重要な“仕事”でした。原始の世界では、その役割に疑問を抱く余地はほとんどなく、一定の出生率は自然と保たれていたはずです。むしろ、人口が増えすぎることが懸念された時代すらありました。

しかし、国家の維持や人類の存続という観点から見れば、人口を確保するために出産は不可欠です。それにもかかわらず現代社会、特に日本では、出産・子育てを「個人の問題」として扱いすぎてきたのではないでしょうか。愛国主義的と批判されるかもしれませんが、あえて国家の存続という視点に立つなら、子どもを産み育てることは本来、極めて重要な社会的役割のはずです。

ところが現実には、この大変な役割に必要な費用や時間の多くを個人に負担させてしまい、賃金が伸び悩む現在の日本では、子どもは“ぜいたく品”のように扱われてしまっています。ぜいたく品であるがゆえに、子どもを持つことが疎まれ、職場では「迷惑をかける存在」と見なされてしまう。そんな空気すら感じられます。

あくまで理想論ではありますが、この大きな役割を担う人々――妊娠を望む人、妊娠中の人、出産後の人、子育て中の家庭――を、国家の維持に貢献する大切な存在として社会全体で支えることが、少子化対策の本質ではないでしょうか。具体的には、子どもを持つ女性(あるいは家庭)に対し、国家として一定の所得を保障し、他の仕事をしなくても生活が安定し、子育てに必要な費用が確保できるような仕組みが理想です。

このような話をすると、「産まない権利を軽視している」と批判されることがあります。しかし私はむしろ、子どもを産み育てるという大きな役割に対して社会が十分な敬意を払ってこなかったことこそが、現在の少子化を招いた一因ではないかと考えています。

とはいえ、ここまで述べた理想を現実に実現するのは容易ではありません。であれば、少子化が進むという現実を受け入れたうえで、新しい社会のあり方を模索することも、私たちに求められている姿勢なのかもしれません。