進歩の過程と自身の立ち位置
生物は進化していくものであり、そう運命づけられているものだと思います。生殖はその進化の過程にとって非常に重要であり、代々遺伝子を受け継ぎながら進化していくものでしょう。一方、医学などの学問においても、知的財産を代々受け継ぎながら進化していくものだと考えられます。生物における“遺伝子”が、“知的財産”に当たり、代々引き継いでさらにブラッシュアップしていく、まさに技術の伝承は様々な分野に通じる“遺伝子”なのかもしれません。
そのような視点からしてみれば、今を生きている我々はこれまでの資産を預かっているだけにすぎず、次の世代に渡す義務があることになります。そして、ただそのまま引き継ぐのではなく、自分たちの世代でさらに良いものに替えていく責任もあります。それ故、先人たちの努力に敬意を表しながら、新たな医療技術によって改変していき、その結果を学会や論文で発信していくことも医師の重要な仕事の一つと考えられるのです。
これを生物学的な生殖で捉えてみると、子供を産み・育てていくことは生物にとって重要な仕事になるのだと思われます。特に発展した現代社会においては、社会全体で次世代のことを考えていかなければならないのではないでしょうか?その社会の中で、妊娠・出産できる年齢層にある世代はとてもとても大切な方々のはずです。「適齢期」という言葉を使うことが憚られることも多いですが、まさに今、「適齢」の方々に手厚くする政治が望まれますが、あまりうまくいってないように感じます。先進国における少子化の原因はその点にもあるのではないでしょうか。
あくまでも私見ではありますが、上述のようにもっと大きな視座からの考え方が欠落していることと、世代間のギャップと言いますか、自分たちの世代ではそうではなかったのに、今の世代は・・という嫉妬のようなものが背景になるように思います。
大きな視座、というのは、これも大きな声で言うことが憚られる「愛国心」ではないでしょうか。この国を守るために自分たちが何をするか、という視点が欠けているように感じております。このようなお話をすると、右翼的に捉えられてしまうかもしれませんが、自分が住んでいる国に対して愛がなければ、国を良くしていきたい、とも思わないでしょう。選挙に行かないこと自体、この国とその政治に対して辟易している結果なのかもしれません。
世代間のギャップですが、団塊の世代ジュニアと言われる方々が子供を産めば、少子化は免れたと言われております。しかしながら、その世代の方々が「適齢期」だったころは、妊娠の限界については教えてもらえず、バブル期にはマスコミなどに結婚を先送りして今を楽しむよう扇動されていたように記憶しております。その後バブル崩壊、就職氷河期となり、大変な人生を歩むことになってしまった方々も多いのではないでしょうか。気が付いたら子供を産むことが難しくなってしまった、そんな悲しい世代だとは思います。妊孕性と年齢について、きちんと教育されなかったことはご本人たちではなく、国や行政の失態でしょう。ただ、だからこそ、今の若い世代に子供を産みやすい環境を創っていけるよう、アクションを起こすことは重要だと思うのです。
私も含め、団塊の世代やそのジュニアの世代の日本の人口の多くを占める我々が、もっと日本の将来を考えていかなければならないのだと思います。もちろん、政治家の方々こそ、票田は重要だとは重々承知の上、それでも国の未来のために何が重要か、を考えて政治を動かしてほしいと切に願います。