夏休み明けの自殺

私のブログ、おそらく小中高生でお読みになっている方々はほぼ皆無かもしれませんが、どうしても気になるニュースがありましたので、記しておきたいと思います。もしかしたら、まさにそのような状況に置かれた方々のひとりにでも届けばよいなぁ、と考えます。

気になるニュースとは、夏休み明けの自殺が多いというものです。いじめがすべての原因ではないかもしれませんが、休みが明けて登校する際に、またあの地獄に戻るくらいなら死んだ方がましだ、と考えてしまうのでしょう。連休明けの仕事や学業に向かうのは大人でも辛いことです。しかしながら、自殺まで考えるのはそれだけ辛い状況なのだとお察します。自殺を考えている人に、命は大切だ、とか、生きたくても生きられない人もいるのだから、とか誰かに説かれるかもしれませんが、その状況に追い込まれている方にとっては、命が軽いのではなく、それ以上に辛い状況にいる、とその方が感じているのだと思います。

私自身、自殺を考えたことが何度かありました。思いとどまったからこそ、今の自分があります。生きるためにはエネルギーが必要ですが、死ぬためにも生きたいという本能を超えるための大きなエネルギーを必要とします。その大きなハードルを越えさせてしまうほどの辛さとは何でしょうか?

先日、あるラジオに鴻上尚史さんが出演されており、日本のいじめの特徴についてお話されておりました。我が国においては、いつも一緒にいるグループが”世間(せけん)“であり、もっと大きな国や世界の社会とは別次元の強いつながりがあるのだそうです。その小さなグループ内で助け合うような良い面もあるのでしょうが、強すぎるつながりを保つためにはできるだけ長く同じ時間を過ごすことが重要であり、逆に他の世間とは区別し、排除するような力も働いてしまうのだとのこと。大人になっての仕事において意味のない残業が多いことなどの要因でもあり、例えば我々医師の仕事において医局に隷属してブラックな環境で働くことも含まれるかもしれません。

ただ、世間はひとつではなく、様々あるはずです。今属している学校のクラスや、友達のグループだけがすべてではありません。その狭い中でのおかしなルールに従う必要もありません。もちろん、今辛い状態に置かれている方々にとっては、その存在が大きいとは思います。この仕組みは日本の社会システムですから、その枠組みを変えることは難しいかもしれませんが、他のたくさんの世間に属することはできるはずです。

今辛い方々、なんとかして死ぬ以外の別の居場所を見つけてほしいと思います。今いる世間が辛ければそこから逃げていい。私も少し前に医局を辞め、別の世間に移っています。死ぬまで辛い世間の中で我慢することなんて必要ありません。別の可能性を探す楽しみもあるはずです。

最後までお読みいただきありがとうございました。誰かの心に届きますように。