父の話
先日、私の父が他界しました。91歳でしたので、大往生ではあります。老衰ですが、歩けなくなった後も頭ははっきりしておりました。少し前に帰省した際、話ができたのは良き最後の思い出となりました。神式の葬儀では仏式の49日にあたるのが50日祭で、先日納骨の50日祭を終わらせましたので、忌中は過ぎたことになります。
そこで今回は、父のお話をさせていただこうと思います。父も産婦人科医であり、医院を次の先生に引き継ぐ70歳過ぎまで地域の分娩を支えておりましたので、功労賞として、厚生労働大臣賞をいただいたこともありました。ただ、その努力は想像に余りあるものだったと私も産婦人科医の端くれとして、痛感いたします。産科の臨床はいつ何時何が起こるかわからないものですから、参観日に父が来てくれたことも、長い休みを取って家族全員で旅行した記憶も無く、父と出かけた記憶があるのは日帰りか、長くても一泊程度の旅行のみです。近場だけにはなりますが、父にはよくドライブに連れて行ってもらったことはとてもいい思い出になっております。その影響か私も車が好きになりました。
頑固で口数の少ない父でしたが、私は子供の頃から父の寂しさを何となく感じており、それが何だったのか、今ではわかる術はありませんが、思い出すたびに胸が苦しくなります。
昭和の父親像とはそのようなものなのかもしれません。家族のために仕事に全振りして滅私的に働く、母も同様、滅私的に父を支え、我々子供たちを育てる、そのような生き方が当時は普通だったのかもしれませんが、やはり私は父に感謝しかありません。今の自分がこうしていられるのも両親のおかげです。決して懐古主義でも、昭和礼賛でもありませんが、今とは違う時代は下って今は多様性の時代、そのような価値観は否定されつつあります。しかしながら、我が国が戦後からここまで発展できたのは、父のみならず、我々より上の世代の方々のあのような無茶な働き方があったからこそかもしれません。 そのような方々に感謝しつつ、さらに良い方向にもっていくことが我々に課せられた使命だと思いますが、少なくとも私自身としては、あまり果たせておらず、忸怩たる思いです。さらに精進していきたいと考える次第です。