卵子の質と社会制度──技術が選ぶ「未来の遺伝子」、制度が支える命の可能性

はじめに
「卵子の質」とは、生命を育む力──すなわち「生物学的有能性(competence)」を指します。2010年に発表されたMartinらの論文は、卵子提供者の中に「best-prognosis donor(予後良好ドナー)」と呼ばれる、繰り返し高い出生率を示す人々が存在することを示しました。彼らの卵子は、同じ数でもより多くの命を育む可能性を秘めているのです。
この知見は、卵子の数ではなく質こそが生殖医療の鍵であることを示唆しています。そして今、技術の進歩と制度の整備が、その「質」をどう扱うかという問いに新たな光を当てています。

日本の制度とその交差点
日本では、卵子提供による治療は制度的・倫理的な制約が強く、事実上ほとんど行われていません。親子関係の法的整理、ドナーの匿名性、子の知る権利など、未解決の課題が多く残されています。
一方で、2022年から始まった不妊治療の保険適用は、経済的なハードルを下げ、多くのカップルに治療の選択肢を広げました。さらに、こども家庭庁による卵子凍結保存への助成は、将来の妊娠可能性を確保したい女性にとって、時間的・制度的な支援となっています。
つまり、日本では「他者の卵子を使うことは難しい」が、「自分の卵子を守ることはできる」制度が整いつつあるのです。

国際的な視点:制度が支える生殖の選択肢
このような制度的支援は、日本だけが突出しているわけではありません。世界では、生殖の選択肢を制度で支える動きが広がっています。
•              フランスでは、未婚女性や同性カップルにも卵子凍結と体外受精が認められ、医療的理由がある場合には社会保険による費用補助もあります。
•              スウェーデンでは、医療的適応がある場合、公的医療保険で卵子凍結がカバーされ、アクセスの平等が重視されています。
•              米国では、企業が福利厚生として卵子凍結費用を負担するケースも増加していますが、経済格差によるアクセスの偏りも問題視されています。
このように、制度のあり方が「命の可能性」へのアクセスを左右する時代に入っているのです。


CNN報道:皮膚細胞から卵子を作る未来

2025年10月、CNNは驚くべき研究成果を報じました。ヒトの皮膚細胞から核を取り出し、卵子の細胞に移植することで、受精可能な卵子を人工的に作り出す試みが行われたのです。現時点では正常な胚には至っていませんが、これは不妊治療の新たな扉を開く「重要な第一歩」とされています。
この技術が臨床応用されれば、卵子を持たない女性や同性カップルが、遺伝的に関係のある子どもを持つことが可能になるかもしれません。つまり、「質のよい卵子」だけが未来を担うわけではなく、技術によって「卵子の質そのものを再定義する」可能性が生まれているのです。

技術が選ぶ「遺伝子の未来」──そして制度が支える命の多様性
ダーウィンの進化論において「生き残るのは最も強い者ではなく、最も変化できる者」とされます。もし技術が「妊娠しやすい卵子」や「遺伝的に優れた胚」を選び続けるならば、未来に残る遺伝子は、自然淘汰ではなく人工選択によって決まるのかもしれません。
しかし、ここで忘れてはならないのは、技術は誰の手にあるのかという問いです。高度な生殖医療は、往々にして高額であり、アクセスできるのは富める者に限られることが多いのが現実です。
その一方で、制度が命の可能性を支えるという視点も重要です。日本のように「自分の卵子を守る」選択肢を公的に支援する仕組みがある国では、技術の恩恵をより広く社会に分配する可能性もあります。制度と技術が連携することで、選ばれなかったものにも、もう一度チャンスを与える未来が開かれるかもしれません。

終わりに
卵子の質は、単なる医療技術の問題ではなく、社会制度、倫理、そして人間の未来に関わる深い問いです。「変化できるものが生き残る」──その変化が、技術によってもたらされる時代に、私たちは何を選び、何を残すのでしょうか。
そして、その選択がすべての人に届くためには、技術だけでなく、制度と倫理の進化もまた、不可欠なのです。