若者よ、「票」で未来を奪還しよう──私たちはいつまで傍観者でいるのでしょうか
気がつけば、この国は「高齢者のための国」になってしまいました。
そして私たち若い世代──いや、かつて若者であった中高年層も含めて、その構造を黙認する「観客」として生きているのかもしれません。選挙のたびに繰り返されるのは、高齢者層への過剰な配慮と、若年層の沈黙という無言の帰結です。なぜ、こうした状況になるのでしょうか。答えは明確です。投票に行くか行かないか──たったそれだけで、政治の方向は変わります。声を上げない者に、社会は優しくありません。60代以上の投票率は実に60〜70%台で推移しています。一方で、20代の投票率は30%前後。これはすなわち「4人に1人しか、未来に意思を示していない」ことを意味しています。選挙とは、声が大きい方に応える仕組みです。沈黙していては希望は届きません。未来を他人に委ねるだけなら、それは「現状維持」への加担と言っても過言ではないのです。
「働いたら負け」ではなく、「働く価値」が実感できる社会へ
もう一つ、私が強く感じているのは、「努力が報われにくい」社会の構造的な歪みです。
所得が上がるほど、各種控除の対象から外され、社会保険料は青天井のように重くのしかかる。「頑張った先に何があるのか?」そう問うたとき、その先に待っているのがさらなる負担だとすれば、誰が前に進もうとするでしょうか。だからこそ、私たちが目指すべきは、“世代間の公平さ”と“未来世代への投資”を軸とした制度設計です。いま支えるべきは「過去」ではなく、「これからを生きる人たち」だと、私は強く感じています。
50代の私が、あえて若者に言いたいこと
私は50代後半を迎え、年齢的には「やや高齢者寄り」に差し掛かりました。それでも、未来ある若者たちが「希望の持てる社会」で生きてほしいと願っています。制度の見直しによって、自分たちの世代が多少不利になることがあっても構いません。むしろ、自分たちが享受してきた社会の恩恵を、次の世代に繋いでいく責任があると信じています。“利得を手放す勇気”と、“希望を託す決意”──この両方こそが、社会を成熟させる力だと思うのです。
選挙は「未来を選ぶ」最小単位です
私たちの未来は、投票という小さな行動から変えられます。SNSで不満をつぶやくだけではなく、「票」というかたちで社会に意思を示すこと。その積み重ねが政治家を動かし、社会の方向を変えていきます。そして、その循環をつくり出せるのは、私たち一人ひとりにほかなりません。誰かが代わりに社会を変えてくれるのを待つ時代は、もう終わりました。私たちは傍観者ではいられません。「変わらない」のではなく、「変えるほどの意志」が足りていないだけなのです。まずは、投票に行きましょう。一票から社会は動きます。そして何より、それが自分自身と、これからを生きる人たちの尊厳を守る行為になるのです。──選挙も近づいてきた今、あえてこのようなお話をさせていただきました。普段は政治的な話を避けている方も、今回は一緒に、未来に向けて意思を示しましょう。