人を育てるということ
「親が無くとも子は育つ」とは言いますが、教育においては良き指導者の存在がいかに重要かを実感しています。私のみならず、誰もが誰かに育ててもらった経験があると思います。幸いにも私も良き先輩や後輩に恵まれ、教育に携わる機会をいただいてきました。今でも大学で年に一度ですが、教鞭を執っています。
人を育てるには、指導者自身の余裕が欠かせません。指導する立場になってみて、私自身を導いてくださった先生方の実力の凄まじさを改めて実感しました。かつての“昭和”な指導法が正しかったかどうかは議論の余地がありますが、今では用いられないような厳しい言葉による叱責も、どこか懐かしく思います。先生方自身も指導に悩みながら、試行錯誤されていたのではないかと感じるようになりました。
若い頃は“勢い”で突き進むことができますが、それだけでは後輩たちはついてきません。物事を少し引いた視点から俯瞰することが求められるようになります。ただ、俯瞰には覚悟と度量が必要です。私の実力では後輩を十分にカバーすることが難しい場面も多く、その中で気づいたのは、後輩を教える立場であっても「実は教わっている」くらいの気持ちで臨むことの重要性です。
この考え方は、患者さんへの接し方にも通じています。医療はわからないことだらけです。特に不妊治療は成功率が低く、治療を継続することが基本的な方針となります。上手くいかなかった場合、原因すら特定できないことも多々あります。そのような状況で「わからない」と患者さんに説明するのは勇気のいることですが、それが正しいアプローチだと思います。
後輩や子供から質問を受けたとき、自分も答えがわからない場合は、一緒に調べる姿勢が大切です。共に悩み、考えるプロセスを共有することで、相手は何かを感じ取ってくれるはずです。このように、自身が教える立場であっても実際には多くを学ばせていただいていることが実感されます。
私がお世話になった教授も、そんな姿勢を教えてくださいました。教授回診で私がプレゼンした内容をご存じなかった教授が、次週にはご自身で調べ直し、再び議論を行ってくださいました。「菊地、もう一回やろう。」という一言が非常に印象的で、そのような尊敬する先生の元で学べたことは私にとって大きな財産です。
これから子育てをされる方々へも、同じ考えをお伝えしたいです。親としてプレッシャーを感じすぎず、一緒に育っていくくらいの気持ちで取り組むのがちょうど良いのかもしれません。