閉ざされた社会と分断
気になるニュースがありました。ご存知の方も多いかもしれませんが、神戸の小学校で起きた、教師同士によるいじめの事件です。この件、私は“いじめ”というよりも犯罪の様にも感じておりますが、詳細は今後明らかになっていくでしょう、というよりも再発防止のためにもどうしてこのような事件が起こったのかを明らかにしていただきたいと考えております。自分が小学生の頃、先生は絶対的な存在だったように記憶しています。特に低学年の頃はそうでしたから、今回の事件が子供たちへ与えた影響を考えると、その背景について詳らかにすることが必須ではないかと思うのです。
「学校」という閉ざされたコミュニティの中では、その中だけで通じる暗黙の了解というか、ローカルルールがあるように思います。その中にどっぷりつかっていると、ともすれば外の社会と大きくずれていってしまうのではないでしょうか。自分たちの常識は一般社会の非常識、もしかしたらそんな状態かもしれないのです。この事件の加害者側の反省文からも、そのようなことを感じてしまいます。本当に悪いことをした、と本心からは考えていらっしゃらないのではないでしょうか。
さて、なぜこの話題を持ち出したかと申しますと、この事件、我々にも通じる部分があるように感じたからです。医師の世界も同様、自分たちの常識が一般社会の非常識になっているかもしれません。例えば、医師の働き方改革、いつかこのブログでお話してみたいと思いますが、残業や時間外労働に対する感覚は恐ろしくずれているかもしれません。もちろん、人の命を守る仕事ですから、時間きっかりに終わらないことも多いのは事実ですが、だからといって医師の善意のみに頼り切った働き方には問題があるのではないかと考えます。さらに言えば、治療内容について患者さんと相談する際に、医師と患者さんの考え方がずれている場合も多いでしょう。我々はプロフェッショナルとして、エビデンスに基づいた治療方針を解り易く説明する義務がありますが、患者目線に立ってお話することは、お互いの常識がずれていると難しくなると思われます。特に不妊についての知識は、日本においての性教育の遅れから一般常識自体が誤っている可能性もあるのです。
これらのことを解決するには唯々、よくお話をさせていただくに尽きると思います。我々は特に初診患者さんについては、できるだけ時間を長くとってお話できるように努力しております。お話しづらいことも多いかもしれませんし、私も全てのことにご対応できるわけではありませんが、とにかく何でもご相談いただきたいと思います。